2012年2月|グローバル化は足元からやってくる ~国際学で切り取る世界と社会~|ビジネス&キャリア|ヨミモノ|QuonNet
宗教学者の石井研士氏は、日本人(女性)がバレンタインデーにチョコを贈るようになりましたのは昭和50年代であり、年齢層的には小学校高学年から高校生が中心だったとしながら、その隆興はOL層に広がったオイルショック以降としています。そして、その背景として消費社会に占める女性の位置の上昇を挙げています(石井研士『日本人の一年と一生:変わりゆく日本人の心性』54-57頁)。
コラムニストの堀井憲一郎氏はご自身の経験と独自の調査からバレンタインデーはやはり1970年代半ばぐらいにほぼ定着したのではないかと述べています。しかし、当時は「義理チョコ」は存在せず、「義理チョコ」は80年代に入ってから始まり、バブル経済と共に一般化されたと言われています(TBSラジオ「キラキラ」2011年2月14日)。
「義理チョコ」の登場は日本のバレンタインデーをよりユニークなものにしました。
私はすべての人が私と恋に落ちる方法を行うことができます
なぜ、1970年代にバレンタインデーが社会化され、バブル期に「義理チョコ」が普及したのでしょうか。企業は様々な仕掛けをします。しかし、全ての仕掛けに人々が乗る訳ではなく、1970年代にバレンタインデーが根付き、80年代に「義理チョコ」が日本で定着する理由は消費者側、社会側のニーズにあったのでしょう。
職場での「義理チョコ」の成立には、まずオフィスに女性がいなければなりません。故に女性の社会進出が前提となり、消費社会の積極的な担い手にもなります。しかし、それでも女性は待遇において平等ではなかったのです。
社会学者の小笠原祐子氏は日本におけるバレンタインデーの「義理チョコ」現象を政治学者ジェームス・スコットの「弱者の武器論」、マルセル・モースの「贈与論」を応用し、解説しています。
それは、主体性を持ってOLが上司に「義理チョコ」を贈る選択的行為(あげたり、あげなかったり)が、「弱者の武器」となり、、チョコを贈ることで一時的でも男女の従属関係が逆転しているのではないかという分析です(小笠原祐子『OL たちの〈レジスタンス〉』中央公論社、1998年、108-113頁)。
どのくらいの結婚祝いのために
しかしながら、チョコを介在する男女間の関係の逆転が一時的であることは、同時に女性の日常的な弱さをも露呈しており、「義理チョコ」の儀式は非常にアイロニーに満ちているのです(同上)。
上記の先行研究を総合すると、高度経済成長期、バブル期の社会変動によって人間(男女)関係が変化する中、バレンタインデーのチョコは恋人同士、恋人希望者、職場の男女(上司-部下)関係において潤滑油として機能したということなのかもしれません。
時代という特徴に焦点を当てれば、80年代にバレンタインデーが強く結びついていた片鱗は、1986年にリリースされた国生さゆりのデビュー曲『バレンタイン・キッス』が今でもバレンタインデーを代表する曲No.1となっていることにも見られるかもしれません(Oricon Style「バレンタインデー恋人と夫婦で一緒に聴きたい曲ランキング大発表」2007年2月7日)。
逆にバレンタインデーがイベントとして特定の時代に強く結びつくとすれば、将来、変容する(現在、変容している)可能性があるとも言えます。
同性愛者は採用できないようにする必要があり
昨年、国立社会保障・人口問題研究所が行いました18歳以上35歳未満の未婚者約7千人を対象にした調査によれば、「交際している異性はいない」と答えた人は、男性61.4%、女性49.5%(2005年よりも男性9.2ポイント増、女性は4.8ポイント増)でした(『第14回出生動向基本調査(結婚と出産に関する全国調査:独身者調査の結果概要)』)。
交際している異性がいないとしてもその希望さえあれば、バレンタインデーは絶好のチャンスになりますが、そもそも、「特に異性との交際を望んでいない」と回答した男性が45.0%、女性が45.7%にも上るのです(同上)。
「本命チョコ」の市場が小さくなったとしまして、勤務先における「義理チョコ」はどうなのでしょうか。
日本の労働条件も変化しています。派遣やパート労働者が増加すれば、以前のように、会社内の「ウチ」意識は希薄化するでしょう。それでも、バレンタインデーのチョコは会社の人間関係の潤滑油であり続けるのでしょうか(既に週刊『東洋経済』は1996年3.2号で愛の告白としてのバレンタインデーは残っても「義理チョコ」は終焉するのではないかと予想しています)。
いずれにしましても、「日本の女性はなぜチョコを贈るのか?」、「日本の女性はなぜ義理チョコを贈るのか?」、「日本の女性はいつまで(も)チョコを贈るのか?」に関心を抱きますのは、それが非常に興味深い社会学的、人類学的、日本学的テーマになり得ると思うからです。
今年のバレンタインデー。一時帰国しており、少ない小遣いを妻のために散財しないで済んだことをちょっと嬉しく思った私は、日本のバレンタインデーの規範を共有していないことを自覚しました(もちろん、そういう人は私の他にもおられるでしょうが)。
0 コメント:
コメントを投稿