私は、私生児で生まれ育ちました。今は結婚して、子どもだっています。看護師の資格も取りました。でも、毎日が虚ろで、夫には離婚しようと持ちかけています。
■ 相談の事例
「私は、私生児で生まれ育ちました。今は結婚して、子どもだっています。看護師の資格も取りました。でも、毎日が虚ろで、夫には離婚しようと持ちかけています」
(赤石多美子。37歳。女性。主婦。山口県柳井市)。
(お知らせ…人物は仮名です。特定の人物、地域、団体、職業とは無関係です)
■ 相談の内容
私は、今、37歳の主婦です。夫と子ども二人の家族構成です。子どもは長女が12歳、次女が5歳です。
私は、結婚してから「看護師」の資格を取得しました。結婚するまでは、病院に住み込んで准看の資格で働いていました。
私は、生まれは私生児です。実の母のことも父のことも知りません。4歳まで乳児院で育てられました。その後、養父母に引き取られて育てられました。この養父母は、私が中学3年生の時に離婚しました。
私は、18歳の時に一年間くらいフリーターの男性と一緒に暮らしました。
結婚する気はなくて、ただ淋しかったからです。女の子の友だちが誰もいなかったので、誰でもいいから優しくしてくれる人なら誘ってくれれば嬉しかったのです。その男性は、ある朝、何も言わずにいなくなっていました。
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私は、人恋しい性格だと思います。
それと、飽きっぽい性格でもあると思います。
人恋しい性格だから、病院に来ている患者さんだった男性と結婚しました。「いつも気になっているので、電話してもいいか?」と言いました。
結婚してすぐに「うつ病」になりました。
入院しました。入院中に、精神科の先生に「人恋しい」という気持ちになりました。その先生から、「退院してもいい」と言われました。それで今、家にいます。
生活の中でやっていることは、そうじとせんたくです。食事作りもたまにやります。暇さえあればタバコを吸ったり、コーヒーを飲んだりしています。一人になるといつも不安でしかたがありません。じっと過ぎた日のこととか、「人恋しい」と思った人のことです。夫は、考えすぎやと言います。
私は、夫、子どものことを考えたりもしますが、夫、子どものことの何について考えているのか、焦点が定まりません。だから、自分一人が宙に浮いているようで、不安と自信の無さが次々と自分を襲ってくる感じです。とても不安な毎日なので、夫に「離婚しよう」と言ったりもします。
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自分では、自分が今どういう状態でも一応、母親なんだからと言い聞かせるのですが、母親として何をどうすればいいのかが分かりません。私は、家庭の中に溶け込めていません。どうすれば、家族どうしの気持ちになれるのかとそればっかりを考えています。
私は、医者から出された抗うつ薬を飲んでいます。いつも頭の中に霧がかかっていて、私だけ別の世界にいるようだと感じています。
ポルソナーレの「うつ病」についての説明を読んで、本当にそのとおりだと実感しています。ポルソナーレのいうように、人の話している言葉は確かに耳に入って来るのですが、どこか、遠くから聞こえてくる感じがします。そして、誰かが話しかけても、その話している言葉を憶えていることはありません。たぶん、認知症になっているのではないかなと思っています。
行動しようと思っても、じっと考えることのほうが多くて、なかなか行動には移せません。資格ももっているので働きに行こうとも思うのですが、もう、何年もこんなことを考えているような気がします。
私は、他の女性と比べてどこがおかしいのでしょうか。何が足りないのでしょうか。私生児だったということは何か、関係があるのでしょうか。
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● ポルソナーレの「指示性のカウンセリング」とは、こういうものです
(1)「関係はある。しかし、関係づけは無い」という心象風景がお分りでしょうか。
ことわざに「馬を水のそばまで連れて行くことはできる。だが、水を飲むのは馬自身だ」というものがあります。ケースの女性は、この二つの言い回しにぴったりの心の状況の中にあります。私生児で生まれて、乳児院で育って、その後の成長過程の中で、他者と「社会的な関係をとり決める」という関係づけの学習をしてこなかったということが、「うつ病」の原因になっています。
(2)この事例から分かることは、人は、心の病気に陥ると、一人で、「自分のこと」をあれこれとめどもなく考えつづける状態に陥るということです。
何かの対象について考える、そしてその考えにもとづいて行動を起こす、ということがどんどん決壊しつづけます。
「自分のこと」は脳の中の記憶の中枢に記憶されています。脳の中の「ものごとを分かる」という働きは、現実の対象の何かと関わっていなければ、すでによく分かっている「自分の記憶」の中の楽しいことや、こうあればいいなあと思っている願望を美化したイメージに仕立て上げてそのことについてだけ考えつづけるようになるのです。
(3)現実との関係が無くなれば、そこには何の葛藤も生じません。葛藤があるときは孤立感がつのって「死」を美化して唯一残っているそちらに向かって行動を起こします。
(4)しかし、現実との葛藤が無い場合は、ケースの女性のように「認知症の症状」の状態に向かって「関係づけ」が進行していくのです。
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